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「濱野ちひろ」とは?11体のラブドールと暮らす男たちが問いかける「正しい性行為」とは【無機的な恋人たち】

ネット情報

「濱野ちひろ」とは?11体のラブドールと暮らす男たちが問いかける「正しい性行為」とは【無機的な恋人たち】

ラブドールと“結婚”したり、11体の人形と暮らす男性たちの生活を追ったインタビュー。
「フェティシスト」と「ドールの夫」という2つのタイプを通して、「セックスとは何か」「愛とは何か」を問い直している。

引用元(全文はこちら→)Yahoo!ニュース


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人より人形を選ぶ男たちが映す、「誰も傷つけない愛」の居場所

ラブドールやキャラクターを愛する人たちは、単なる“性欲のはけ口”ではなく、裏切りや喪失を経験したあとに「誰も傷つけずに生きるためのパートナーシップ」を選び取った存在として描かれている。

  • 「フェティシスト」と「ドールの夫」
    人形の質感やパーツだけにこだわり、「ただの人形」と割り切るフェティシストがいる一方で、名前・年齢・出身・家族構成・好きな本や音楽まで細かく設定し、人形を“対等なパートナー”として扱う「ドールの夫」たちがいる。
    彼らは目の前の物理的な人形と、想像力で積み上げた“人格を持つパートナーとしての人形”という「二層の現実」を重ねて生きている。

濱野ちひろとは?

濱野ちひろ(はまの・ちひろ)は、人間と“人間以外の存在”との関係性をテーマに取材を続けるノンフィクションライター。
1977年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。
『聖なるズー』(集英社)で2019年 開高健ノンフィクション賞 を受賞。

“人間と動物の性愛”を扱った前作に続き、新刊『無機的な恋人たち』(講談社)では、ラブドール・キャラクター・AIなど“無機的存在との恋愛/性愛”を取材。
「極端な事例から普遍性を探る」という手法で、
愛とは何か/セックスとは何か/人間とは何か
という根源を問う作品を発表し続けている。

『無機的な恋人たち』(講談社)

この記事のテーマにもなっている最新作。
ラブドール、キャラクター、AI など「無機的な存在」をパートナーに選ぶ人々を取材し、
“愛とは何か”“セックスとは何か”“人間とは何か”
を問うノンフィクション。
アメリカのドール・ユーザーや、日本で初音ミクと結婚式を挙げた例など、多様な事例を描いている。

  • ラブドールに向かうきっかけは「人工物への恋」「喪失」「人間不信」
    人工物そのものを愛するロボセクシュアル的な人、パートナーの病気や死で性や信頼を失い、人形に癒やしを求めた人、若い頃の人間関係で傷つき「女なんてみんな同じ」と感じて人形を選んだ人など、背景はさまざま。
    共通しているのは「人形は裏切らない・嘘をつかない・急にいなくならない」という安心感に、人間同士の関係で失った信頼を見ている点だ。→Amazonで購入 
    無機的な恋人たち 濱野ちひろ
  • 「自己愛」か「他者への愛」かという葛藤
    人形は自分の欲望を投影する“真っ白なキャンバス”でもあり、その意味では自己愛の要素が強い。
    しかし、長い時間をかけてストーリーや人格を上書きし続けることで、人形は「ただのモノ」から「歴史と奥行きを持ったパートナー」に変わっていく。
    著者は、自己愛を通じて他者への愛に触れていく可能性が、ラブドールとの関係にも確かに存在すると見ている。

みんなの反応

ぬいぐるみに名前をつけて服まで着せたり、旅行に連れ歩く人もいるくらいだから、ラブドールをどう感じるかは人それぞれの価値観だと思う。ただ、「ラブドールの妻」と暮らすという男性が、自分は立派な椅子に座り、「妻」の人形をパイプ椅子に座らせて食事している写真を見た時には、なんとも言えない違和感が残った。

人の愛の形は本当に多様だと感じた。記事に出てくる人たちの心境は、AIパートナーを持つユーザーの感覚にも通じるところがあるように思う。それぞれが誰も傷つけていないのなら、その関係は尊重されてもいいのではないか。

記事タイトルを見たとき、思わず「11体のラブラドール(犬)と暮らしている話」だと勘違いしてしまった。実際に読んでみたら、まさかそっちの意味の“ラブドール”とは思わず、いい意味でも悪い意味でも裏切られた気分になった。

会社にも「いるより、いないほうがみんなのためになる人」がいるように、男女関係も「いるから必ず幸せ」とは限らないのだと思う。この記事の男性にとっては、今まで付き合ってきた女性が結果的にラブドール以下だった、というだけの話かもしれない。女性側だって、夫をATM扱いして捨てるケースが珍しくないのだから、構図としては大差ない気もする。

ラブドールが社会にもっと認知されて一般化すれば、性犯罪が減る可能性もあるのではと感じた。日本では性教育が十分に行われず、男女とも性行為そのものに忌避感を持ってしまう面があると思う。結婚の本質は、単に生活共同体というより「性行為の相手を特定化する契約」と見ることもできる。だからこそ、トレーニング用のラブドールが性教育の一部になる日が来てもおかしくない。ただ、その結果「ドールで十分」と考える人が増えたら、少子化がさらに進むジレンマもある。

昔の漫画『ちょびっツ』では、少女型のパソコンと結婚するような物語が描かれていた。ラブドールをパートナーにする人も、AIと結婚すると語る人も、根本は似た流れにあると思う。「結婚は人とするものだ」と言い切る価値観のほうが、もはや時代遅れなのかもしれない。その人にとってその人にとって大事ならモノでもいいという感覚を理解できないから、宗教観の違いみたいな争いも起こるのだろう。

他人にあれこれ干渉されたくない人にとって、容姿が理想どおりで、自分が求めたときだけ応えてくれる存在としてのドールは、とても都合がいいのだと思う。今のAI技術やロボット技術を考えると、人型ロボットの完成形はそう遠くないはずで、それが高級車くらいの価格になったら自分も欲しいと感じる人は多いだろう。女性側も、イケメン仕様のドールが本格的に出てきたら、「人形を選ぶ」という選択肢を取る人は確実にいると思う。

引用元:Yahoo!ニュース コメント欄

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